来週タイの世界文化遺産であるアユタヤとスコータイを旅行します!
隠れ世界遺産ハンターであるDDs、
やっと念願だったスコータイに行けます。
(アユタヤは制覇済み)
古都アユタヤ
アユタヤ遺跡群は、チャオプラヤー川とその支流であるパーサック川、ロップリー川に囲まれた中州に集中している。これは、敵からの防御を考えて中心部の回りに運河を掘ったことによるものである。ワット・プラシーサンペット、ワット・ローカヤスターラームなどの寺院跡、王宮跡が残る。
これらの遺跡を作ったのは1351年 – 1767年に存在したアユタヤ王朝である。この王朝は、ナーラーイ王時代には現在のラオス、カンボジア、ミャンマーの一部を領有するほどの勢力を持っていた。中心都市であるアユタヤは、流れの穏やかなチャオプラヤー川に位置し、貿易に持ってこいの地形であった。この貿易に適した地で、王はその独占貿易で莫大な利益を収め、同時に上座部仏教を信仰していた王は、この莫大な利益をもとに数々の寺院(ワット)を作り出した。しかし、1767年のビルマ(ミャンマー)のコンバウン王朝による攻撃を受けてアユタヤ王朝は消滅した。同時にアユタヤ市内の建造物や石像は徹底的に破壊され、ほとんどの寺院は廃寺となり、王宮も台座を残すのみとなった。世界的にみてアユタヤの建造物の多くが比較的新しい建造物であるにもかかわらず、そのほとんどが煉瓦のみになっているのは、このためである。
Wikipedia 参照 リンク
バンコクから一番近い世界遺産のアユタヤ、おそらく観光で来タイした日本人の多くが訪れるのではないでしょうか。
今年はタイで大ヒットを飛ばしたドラマ”Buppe San Nivas (Love Destiny)”の舞台となりタイ人観光客が押し寄せたらしいです。
どこの国もテレビの影響力は凄いですね。
今はだいぶ落ち着いたようなので久しぶりに行ってきます。
スコータイの歴史上の町と関連の歴史上の町
スコータイの町は小タイ族(現在のタイ人の多数派)であるシーインタラーティット王によりスコータイ王朝の都として建設がなされた。この王朝はラームカムヘーン王の時代に大きく発展し、東南アジアの一大国となるがその死後、勢力は衰えアユタヤ王朝が建つ頃には、小国になり、アユタヤ王朝の属国の時代を経てアユタヤに吸収された。
Wikipedia 参照 リンク
”幸福の夜明け”を意味するスコータイはわたしにとっては未知の都市。
スコータイ歴史公園、シーサッチャナーライ歴史公園、カンペーンペット歴史公園の3つのエリア要する場所らしいので丸一日使って観光する予定です。
旅行計画
今回の移動手段は車のため、
道中にある観光地にも寄る予定です。
経路は以下となります。
Google Mapsより
始 バンコク → ノンタブリー → パトゥムタニー → アユタヤ → アントン → シンブリー → チャイナット → ナコンサワン → ピチット → ピサヌローク → スコータイ 終
全部で11県を通ります。余談ですがタイは県・府の数が77と無駄に多いです笑 2011年に新しい県ブンカーンが誕生と現在進行形で増加中。
距離にして428kmで約5時間半、
東京から京都(約460km)とほぼ同じ。
日程は三泊四日でナコンサワン一泊、スコータイで二泊の予定です。
ただしサバーイサバーイ(Take it Easy、気楽に行こうぜ)がコンセプトなので、
予定は変わるかもしれませんが。
現在各地の観光地を調べ計画中。
旅行計画している時間って楽しいですよね。
往復10時間越えのドライブ。
安全運転で行って参ります!
帰ったら旅レポ書きますね!
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